桑港万国博開会

1939年02月

三十五箇国参加の下に五千万ドルを投じて作られたサンフランシスコの金門万国博覧会は、二月十八日華々しく開会された。日本特設館は昨秋十月以来工を急いでゐたが、二月十四日竣工し、同博覧会開会と同時に他の外国館に魁けて開館式を挙行、直ちに公開し人気を集めた。

陸軍記念日ポスター及えはがき

1939年02月

陸軍省では三月十日の陸軍記念日を機会に鶴田吾郎筆「興亜」のポスター四万枚を印刷、又同画、向井潤吉筆「突撃」及び日露、世界大戦、支那事変戦線比較図を三枚一組のゑはがきとして二十万組を印刷し現地及び内地方面へ発送した。

戦争画海外に悪影響

1939年02月

昨年以来展覧会に現はれた戦争画の中、出版物等によつて海外に紹介され、陰惨不快等の印象を与へて悪影響を及ぼすもののある実例が、二月十四日アルゼンチン駐在の内山公使から外務省に報告されて注意をひいた。問題の作品は昨秋二科展出品の向井潤吉作「突撃」と阿部合成作「見送る人々」とで、国際写真情報の美術展号によつて紹介されたものである。同公使の報告によれば、これらの絵画は正義の日本人の姿とは見えず悲壮な黒人の群又は無智な土人の集りの様な印象を外国人に与へ、ひいては聖戦の認識を甚だ誤るおそれがあるから即刻海外領布を厳禁されたいと要請してゐるもので、当局では早速調査の上取締を講ずることとなつた。

紐育万国博出品写真壁画

1939年02月

ニユーヨーク万国博覧会日本館日米国交参考部を飾る商工省、日米協会出品の日米親善大壁画は、オリエンタル写真工業会社で製作完成、二月七日同社工場で内示した。縦十尺横二十八尺五寸、襖張りとし、富士山と姫路城、ワシントン記念碑、日米の学童らをモンタージしたものである。

国画会写真部新設

1939年02月

国画会では今年から新に写真部を設け、芸術印画及び応用印画等の芸術的にみて優れたものを従来の絵画規定によつて取扱ふこととなつた。

日本文化大観編修会官制公布

1939年02月

紀元二千六百年奉祝会がその事業の一として計画した日本文化大観の編纂は、河原春作を委員長として事業を進めつつあつたが、二月八日官報を以て左の如く日本文化大観編修会官制が公布され、同日委員三十三名及び幹事五名の任命が発令された。委員の中美術関係の学者は帝室博物館鑑査官秋山光夫、東京帝国大学教授藤懸静也、美術研究所員矢代幸雄である。 日本文化大観編修会官制 第一条 日本文化大観編修会ハ文部大臣ノ管理ニ属シ紀元二千六百年奉祝会ノ委嘱ニ依ル日本文化大観ノ編修ヲ掌ル 第二条 日本文化大観編修会ハ会長一人並ニ顧問及委員若干人ヲ以テ之ヲ組織ス 第三条 会長ハ教学局長官ヲ以テ之ニ充ツ顧問及委員ハ文部大臣ノ奏請ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ズ (第四条以下略)

議会における質問演説

1939年02月

二月六日衆議院予算委員第二分科会で、委員川崎克は荒木文相に対し、美術行政、文部当局の指導精神等について質問し、美術学校展覧会、古美術保存の現状等の不満につき意見をのべた。

現代美術幻灯板制作

1939年01月

国際文化振興会ではさきに古美術幻灯板を製作し、既に一万三千余枚を各国に配付して好評を得てゐるが、新にその姉妹篇として現代美術の幻灯板を製作することになつた。明治以降の絵画、彫刻、工芸、建築の四部門に亙り名作約二百点を選定し、現代美術を通じて日本文化史の経移を現さうとするものである。

紐育万国博出品現代画

1939年02月

四月三十日に開かれるニューヨーク万国博覧会出品の現代画は、帝国芸術院会員の作品中から日本画九点、洋画十点が選定され、発送に先ち二月一日から七日まで日本橋三越で内示会が開かれた。

大和賞制定

1939年01月

日伊両国間の文化的親善の為イタリア中亜極東協会が設定した「レオナルド・ダ・ヴィンチ賞」に対応し、日伊学会ではイタリア人の日本及び日本文化研究に対する表彰として大和賞(賞金一千円)を制定し、研究論文を募ることとなつた。

工芸指導所大阪出張員事務室

1939年01月

工芸指導所では、輸出工芸雑貨改善に関する調査研究並に関西支所設置準備事務取扱のため、大阪市西区江の子島大阪府工業奨励館内に大阪出張員事務室を設置し、一月十日より事務を開始した。

福田豊四郎、吉岡堅二帰京

1939年01月

陸軍に従軍して満州、北支、中支等を三ヶ月半に亙つて巡つた両画家は、一月十二日帰京した。

綵尚会結成

1939年01月

尚美堂関長次郎の主催により日本画家の新人を集めた清尚会は昨秋解消したが、更めて十二名の作家を以て同様な綵尚会が結成された。

昭和十三年中陸軍嘱託画家

1938年12月

本年度中に於て陸軍省より嘱託派遣された従軍画家の氏名及び従軍方面は左の通りである。 高島祥光(北支)、五味清吉、三橋武顕(以上中支)、川島理一郎(北支)、高橋勝馬(北、中支)、藤島武二石井光楓(以上中支)、栗原信中沢弘光(以上北支)、川端竜子鶴田吾郎(以上北支、内蒙)、伊原宇三郎、榎信太郎、石井柏亭硲伊之助和田香苗永地秀太(以上北支)、吉田博、佐々貴義雄、大野隆徳瀬野覚蔵鳥海青児(以上中支)

昭和十三年中海軍従軍画家

1938年12月

本年度中に於て海軍省より嘱託派遣された画家及び海軍に従軍を許可された画家又は彫刻家は左の通りである。 嘱託画家 藤島武二(未行)、石井柏亭田辺至、石川虎治(以上中支)、中村研一(南支)、藤田嗣治(中支) 従軍画家 神津港人(北支)、吉田初三郎、吉田秀三郎、吉田朝太郎、田坂昇、麻生豊、佐々貴義雄、佐藤克三(以上中支)、水平譲(北支)、伊藤三寿(北、中支)、野上登(青島)、三国久、御厨純一(以上南、中支)、小早川篤四郎(南支)、小嶺伸(中支)、清水七太郎(中、北支)、古島松之肋(中支)、森脇忠(南支)、高橋亮(北支)、服部正一郎(中、北支)、草光信成、木下五郎(以上中支)、山崎省三(南支)、小林茂(北、中支)、輿七郎(南、中支)、吉田三郎、橋本徹太郎、小林喜代吉、斎藤八十八横江嘉純(以上中支)、奥瀬英三三上知治(以上中、北支)、代谷兵二(中支)、鶴田吾郎(北、中支)、光安浩行宮坂勝、田中稲三、金井達三、酒井精一、小泉素彦、一色五郎(以上中支) 

有馬賞設定

1938年12月

有馬農林大臣は土の美術の奨励を志し、小城基を援助して満洲の移民村を主材とする大陸の風物を描かせ、同時に新自然派協会の同人等を動員して全国の農村に主題を求めて製作させ明年早々土の美術の展覧会を開催、優秀作品には有馬賞を出すこととなつた。